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ウミガメの町・徳島県美波町。合併前の旧日和佐町の中心部には、四国八十八カ所の県内最後の札所、23番・薬王寺があり、門前町としてもにぎわいを見せる。ウミガメだけでない町の魅力も知りたいと更に探訪を続けた。【山本健太】
JR日和佐駅から国道55号を北に少し歩くと、山すそに薬王寺の入り口がある。正月には多くの初詣客を集め、厄よけの寺としても有名だ。町を見下ろす山の中腹にある寺のシンボル「瑜祇(ゆぎ)塔」を、ちょうど咲いていた淡いピンクの桜の花が鮮やかに演出していた。
本堂へは、延々続く石段を登らないと、たどり着かない。途中、33段目の「女厄坂」と42段目の「男厄坂」があり、厄を落とすため、一段ごとにさい銭を供える、少し変わった風習がある。お金を踏むのは何となく気が引け、よけながら一段一段を踏みしめる。「たいした石段じゃない」と思ったのが甘かった。意外に急で、足腰が徐々に悲鳴を上げる。
本堂に着くと、周囲の参拝者は皆、涼しい顔をしていた。石川県金沢市から家族4人で八十八カ所巡りに来ていた松村君子さん(80)は「これくらいは平気」ときっぱり。孫たちと四国4県の寺を回っているのだという。50歳以上の年齢差があるというのに、息の上がっている自分に情けない気持ちになった。「まあ、厄は払われたのだろうから……」と気を取り直し、寺を後にした。
寺から、ウミガメが上陸する大浜海岸までは約1・5キロメートル。狭く入り組んだ路地に、民家がひしめき合う。車も通れないくらいの狭い路地は「あわえ(あわい)」と呼ばれる。集落を歩いていると、1909(明治42)年の開業という銭湯「初音湯」を見つけた。
46年に起きた南海地震にも耐え、長く地域の人から愛され続けたが、90年に約80年の銭湯としての歴史に幕を閉じた。しかし、町民の間から「古き良き時代を伝える」と建物の活用案が持ち上がり、今では町が無料の展示スペースとして活用している。「世界遺産」ならぬ町の「世間遺産」第1号にも認定されているという 川本彩 川本彩 B級百姓物語 福辻鋭記 川本彩 川本彩 川本彩 山下静雨 通信教育
JR日和佐駅から国道55号を北に少し歩くと、山すそに薬王寺の入り口がある。正月には多くの初詣客を集め、厄よけの寺としても有名だ。町を見下ろす山の中腹にある寺のシンボル「瑜祇(ゆぎ)塔」を、ちょうど咲いていた淡いピンクの桜の花が鮮やかに演出していた。
本堂へは、延々続く石段を登らないと、たどり着かない。途中、33段目の「女厄坂」と42段目の「男厄坂」があり、厄を落とすため、一段ごとにさい銭を供える、少し変わった風習がある。お金を踏むのは何となく気が引け、よけながら一段一段を踏みしめる。「たいした石段じゃない」と思ったのが甘かった。意外に急で、足腰が徐々に悲鳴を上げる。
本堂に着くと、周囲の参拝者は皆、涼しい顔をしていた。石川県金沢市から家族4人で八十八カ所巡りに来ていた松村君子さん(80)は「これくらいは平気」ときっぱり。孫たちと四国4県の寺を回っているのだという。50歳以上の年齢差があるというのに、息の上がっている自分に情けない気持ちになった。「まあ、厄は払われたのだろうから……」と気を取り直し、寺を後にした。
寺から、ウミガメが上陸する大浜海岸までは約1・5キロメートル。狭く入り組んだ路地に、民家がひしめき合う。車も通れないくらいの狭い路地は「あわえ(あわい)」と呼ばれる。集落を歩いていると、1909(明治42)年の開業という銭湯「初音湯」を見つけた。
46年に起きた南海地震にも耐え、長く地域の人から愛され続けたが、90年に約80年の銭湯としての歴史に幕を閉じた。しかし、町民の間から「古き良き時代を伝える」と建物の活用案が持ち上がり、今では町が無料の展示スペースとして活用している。「世界遺産」ならぬ町の「世間遺産」第1号にも認定されているという 川本彩 川本彩 B級百姓物語 福辻鋭記 川本彩 川本彩 川本彩 山下静雨 通信教育
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